2015年08月23日

麗蛇丸と鸞鳳玉

麗蛇丸と鸞鳳玉の同時開花!!
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posted by 巌志 at 20:00| 新潟 ☁| Comment(0) | サボテンの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015-08-23(ナカゴBBQ)

生憎のくもり模様でしたが、レナトゥス十日町道場の暑気払いを兼ねてのBBQを行いました。
お祭りなどの行事で参加できない方も多く残念ではありましたが、それなりの人数が集まれて楽しいBBQができました。
参加された服部さん、涌井さん、吉田さん、関さん(お子さん2人も)、徳永くん、あゆみさん(甥っ子1人も)、ありがとうございました。
うちの嫁と子供も楽しめたようでよかったです。

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posted by 巌志 at 15:00| 新潟 ☁| Comment(0) | 柔術・格闘技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月21日

2輪同時開花

大豪丸。2輪同時開花!!
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2015年08月20日

2015-08-20(ふらっとステーション)

先月は仕事が多忙なため練習を1か月休んでしまった。
今日からと思っていたが下痢気味なので見学。
体感トレーニング、良いと思います。
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posted by 巌志 at 22:00| 新潟 ☁| Comment(0) | 柔術・格闘技 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月15日

今日も

今日も三角碧瑠璃鸞鳳玉が開花しました。
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2015年08月13日

三角碧瑠璃鸞鳳玉

三角碧瑠璃鸞鳳玉が開花しました。
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posted by 巌志 at 18:00| 新潟 ☁| Comment(0) | サボテンの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

海王丸の実

海王丸の実が割れて種が出て来てる(^^;)
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2015年08月04日

緋花玉

緋花玉。暑すぎるせいか、開き具合がいまいち。そして小粒の花。
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2015年07月31日

保育園の夏祭り

夏はイベントが盛りだくさん。
今夜は保育園の夏祭りでした。
posted by 巌志 at 20:05| 新潟 ☁| Comment(0) | 子供 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

雲洞庵

新潟県南魚沼市の雲洞庵にて頂きました。

以下はウィキペディアより。
雲洞庵(うんとうあん)は、新潟県南魚沼市にある曹洞宗の寺院である。山号は「金城山」。本尊は釈迦牟尼仏。「雲洞院」(『鎌倉大草紙』)とも。
南魚沼郡一帯にあたる上田庄に位置する。当寺の縁起や『日本洞上聯燈録』によれば、藤原房前の母である藤原先妣尼が庵を結び開祖とする伝承を持つ。また、養老元年(701年)房前が母の菩提を弔うため、尼寺を創建した。室町時代に至り直江津を本拠としていた関東管領の上杉憲実が永享元年(1430年)、寺伝によれば応永27年(1420年)に、越後ではじめての曹洞宗寺院である耕雲寺住職である傑堂能勝の法嗣の顕窓慶字を招き、禅寺として再興したという。上田庄は山内上杉氏との関わりを持ち、山内上杉氏を継いだ憲実は雲洞庵再興を企図していた叔父にあたる上杉憲定の意思を継いで再興を行ったという。憲実は文安4年(1447年)に政治から退くと、雲洞庵に隠棲している。のち直末27寺を有する越後有数の大寺院に発展し、耕雲寺(村上市)、種月寺(新潟市)、慈光寺(五泉市)と共に、越後四箇之道場と称された。
赤門からの参道の下には法華経の一石一字が書かれた石が埋められており古来より「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌嘗めたか」といわれ、参道を踏みしめて参詣することで御利益があるとされた。
また、戦国時代には越後国主となる上杉景勝やその家臣である直江兼続が幼少期に北高全祝(第10世住職)や通天存達(第13世住職・長尾政景兄)らより勉学を学んだ寺とされる。

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posted by 巌志 at 18:20| 新潟 ☔| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

関興寺

新潟県南魚沼市の関興寺にて頂きました。

以下、ウィキペディアより。
関興寺(かんこうじ)は、新潟県南魚沼市にある臨済宗円覚寺派の寺院である。本尊は釈迦牟尼仏。
応永17年(1410年)上杉憲顕の子、覚翁祖伝の開基。最初は、関興庵と称する。上田長尾氏や上杉氏の庇護を受け栄える。しかし、永正9年(1512年)に兵火に遭い伽藍焼失、翌年再建するも天正5年(1578年)御館の乱により焼失。天正14年(1586年)上杉景勝により再建されるが、再び文禄3年(1594年)火災となり、以来寺は衰退し、慶長5年(1600年)上杉景勝が出羽国米沢に移封されると同地に移った。寛永6年(1629年)、またも火災に見舞われ、寺は衰退の一途をたどる。寛文年間、現在の地に移り、関興寺と改める。
「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌舐めたか」といわれた。御館の乱の折り、住職雨天是鑑は、上杉氏寄進の大般若経600巻を味噌桶の中に埋めるよう修行僧に指示し、戦火から経文を守った。よって、「味噌舐めたか」の言葉が生まれた。

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posted by 巌志 at 18:10| 新潟 ☔| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

瑞祥庵

新潟県湯沢町の瑞祥庵にて頂きました。

以下はHPより。
「曹洞宗のお寺、瑞祥庵には一対の仁王像が安置されています。 
 作者は、幕末から明治初年に越後で才腕を振るった石川雲蝶です。雲蝶は、文化11(1814)年、江戸雑司ヶ谷(現:東京都豊島区)に生まれ、本名は石川安兵衛といいました。30代前半に、「良い酒とノミを終生与える」という条件で、越後入りし、多くの作品を残しました。
 無類の酒好きで、女性も大好き。賭けに負けて仕事を引き受けたりするなど破天荒な人柄でしたが、ノミを握れば神業的な作品を手掛けたといいます。
 雲蝶の作品は、重厚感と迫力、かと思えばモチーフをやさしく表現する繊細さと鮮やかな彩色。その美しさに魅せられ、思わず作品の前に立ち止まってしまう。
 雲蝶は「日本のミケランジェロ」とも称され、作品は木彫りにとどまらず、石の彫刻や襖絵や漆喰、障子など、どれをとってもダイナミックな世界観が表現されており、150年を経てなお人々を魅了している。」

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posted by 巌志 at 18:00| 新潟 ☔| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月28日

龍谷寺

新潟県南魚沼市の龍谷寺にて頂きました

以下はHPより
「インドグプタ王朝様式の慈雲観音堂と開運十一面観音。曹洞宗獄林寺の末寺。 本堂は代表的禅建築、慈雲閣観音堂はインドグプタ王朝様式で昭和40年に完成。堂内に安置されている十一面観音菩薩、本道の廊下にある欄間は石川雲蝶・小林源太郎の彫刻があしらわれている。」

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posted by 巌志 at 18:20| 新潟 ☁| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

永林寺

新潟県魚沼市の永林寺にて頂きました。

以下、ホームページより。
「永林寺は、五百有余年前に創建され、徳川家康の孫松平忠直公(作州津山藩祖)、その子松平光長公(越後高田藩主)の香華所として本堂建築を認可され、三葉葵の紋章を許された由緒深い曹洞宗の名刹である。
その折、江戸彫り御三家の石川流石川雲蝶正照を拝請し、100点余りの作品群を有している。置物や欄間は、華麗ななかにも艶やかさを保ち、勝縁の寺として参詣者も多い。」

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posted by 巌志 at 18:10| 新潟 ☁| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

西福寺開山堂

新潟県魚沼市の西福寺開山堂にて頂きました。

以下は、ウィキペディアより
「西福寺(さいふくじ)は、新潟県魚沼市にある曹洞宗の寺院である。
1534年(天文3年)に波多野義重を開基、芳室祖春を開山として天台宗の寺院として創建されたが、後に曹洞宗へ改宗され現在に至る。「日本のミケランジェロ」とも称される[4]江戸時代の名工石川雲蝶の彫刻が多く残されていることで広く知られている。」

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お寺用の御朱印帳2冊目を購入しました。
posted by 巌志 at 18:00| 新潟 ☁| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

八海山尊神社

新潟県南魚沼市の八海山尊神社で頂きました。

以下は、御由緒より。
「八海山のおやしろのそもそものいわれは、 中臣の鎌足公が御神託を頂いて御室(現六合目)に祠をもうけられたのが始まりだと伝えられております。また、八海山には役行者小角、つづいて弘法大師が頂上で密法修行されたという、山岳信仰の社寺にみられる事蹟譚があり、古くから両部の霊場として知られていました。八海山信仰の歴史上の初見は、南北朝中期に編纂された『神道集』に越後の三の宮・八海大明神とあり、霊験あらたかなことがつとに知られていましたが、必ずしもローカルな範囲を出るものではありませんでした。   ところが寛政六年、大崎村出身の木食泰賢行者が木曽御嶽山の中興開祖・普寛と共に登拝道を開くに及び、ついに八海山は御嶽山の兄弟山として列格し、次第に全国にその名を知られるようになり県境を越えて各地の講集団が訪れるようになりました。大崎口登拝道は八海山開山の偉業により、一躍輿望をになうに至った泰賢行者自ら、出生地の御嶽講を率いて享和三年(1803年)に切り開いたもので、このが大崎口里宮(現八海山尊神社)を世に知らしめた始まりです。その後、泰賢行者は大崎口里宮を拠点に諸国を行脚し、八海山信仰の布教に身を捧げました。  こうして八海山大崎口里宮は、御嶽信仰の霊場巡拝地となり、その信仰は親から子、子から孫へと代々引き継がれ、今日に至っております。」

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posted by 巌志 at 17:29| 新潟 ☁| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月25日

川口まつり

川口まつりへ行き花火を見てきました。

が、写真撮り忘れた。。。
posted by 巌志 at 22:00| 新潟 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月23日

麗蛇丸

麗蛇丸。
最近開花していたらしいが、多忙で気がつかずにいた。
隣のつぼみが終わっていたね。
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posted by 巌志 at 18:39| 新潟 ☁| Comment(0) | サボテンの部屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月20日

家族旅行2日目

二日目の工程は以下の通り。

6:00〜 風呂
7:00〜 朝食
8:00〜 宿 灘浦荘チェックアウト
9:00〜10:00 高岡駅 万葉線 ドラえもんトラム
9:30〜 高岡の大仏
10:00〜 木田芳香園【抹茶ソフトクリーム】
10:30〜 射水神社
11:00〜 昼食へ移動
11:30〜14:30 道の駅 万葉の里高岡(みやげ、ランチ)
14:30〜17:30 自宅へ

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posted by 巌志 at 19:41| 新潟 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

射水神社

2015/7/20 富山県高岡市の射水神社で頂きました。

以下、ウィキペディアより。
「射水神社(いみずじんじゃ)は、富山県高岡市の高岡古城公園内にある神社。式内社(名神大社または小社)、越中国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は祭神の瓊瓊杵尊にちなみ「稲穂」。」

・祭神
 瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと)
 歴史的には、伊弥頭国造(いみづのくにのみやつこ)の祖神とされる二上神(ふたがみのかみ)であった。二上神は二上山(ふたがみやま)山麓の二上射水神社に祀られている。

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posted by 巌志 at 19:35| 新潟 ☁| Comment(0) | 御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする